今回は、ミッキーマウスの生みの親であるウォルト・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)について思い巡らせてみようと思います。
本日12月15日は、ウォルト・ディズニー・カンパニー創立100周年記念長編アニメーション映画『ウィッシュ』(英題『WISH』)の公開日となります。
(https://www.disney.co.jp/movie/wish 2023年12月15日閲覧.)
本作は、これまでのディズニーアニメーションで語り継がれてきた「願いの力」をメインテーマとしている作品とのことです。まさにディズニー100周年にふさわしい作品になっていると思われます。
※この記事を執筆中、筆者は鑑賞前ですので、この先ネタバレを踏まずに読み進めて頂けます。
記念すべき100周年映画公開日ですが、今日12月15日はウォルトの命日でもあります。
ウォルトは12月5日に生まれ、65歳の誕生日を迎えた後、病によってその生涯に幕を閉じました。
※以下、『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻盤』(ボブ,2020)、『ウォルト・ディズニー伝記 ミッキーマウス、ディズニーランドを創った男』(ビル,2017)、『ウォルト・ディズニー すべては夢みることから始まる』(PHP研究所,2013)から引用しています。
1901年12月5日。ウォルトは、規律正しい心をもつ父と、慈しみ深い母のもとに四男として生を受けました。ウォルトはシカゴで誕生しましたが、当時のシカゴは子どもが育つには危険多い町であったため、両親は子どもたちが安全に育つようにと、ミズーリ州マーセリーンへ引っ越しました。
ディズニー一家は肥沃で緑あふれる土地で、農業によって生計を立てました。ウォルトの世界には、豊かな自然とたくさんの動物たちがいました。幼少期のこの体験は、彼の人生に多大な影響を与えていくものとなります。
一方で彼の父は非常に厳しく、そして当時の時代背景もあり、学童期あたりから大変多忙な日々を送るようになっていきました。
家計のために朝から晩までいくつかの仕事を掛け持ち、その合間に学校へ行っていたので、学習面は芳しくなかった様子。ウォルトが少しのミスをしたとき、父は罰則も課すような人物であったため、ウォルトはその過酷な生活を生き抜いてきた少年でした。
そんな彼の心を支えていたのは、立志伝や冒険シリーズの本を読むことと、絵を描くことでした。
ウォルトは次第に絵描き、マンガ家になりたいと思うようになりましたが、家計が厳しくなるにつれて父の厳格さも増していったようで、もちろんウォルトの夢に大反対。
それでもウォルトは諦められず、押し切るような形で家を飛び出し、自分の夢を叶えるために動き始めました。
はじめはマンガ家を目指していましたが、途中で映画監督になりたいと思うようになり、1923年に後のウォルト・ディズニー・スタジオを創立させました。
ウォルトは短編作品の制作に取り掛かると、その楽しさに魅了されていきました。
当時、世界大戦と恐慌、自然災害が起きていた時代でした。世界は破滅と再生を繰り返す混沌とした時代でもありました。
こうしたなかでウォルトは、試行錯誤を重ねながら生み出したキャラクターの「オズワルド」を、利権関係のトラブルで手放さなければいけない窮地に陥りました。
そして、本当にオズワルドを失ってしまった帰路。意気消沈とした汽車のなかで、ネズミの主人公を思いつき、妻リリーの助言も受けて「ミッキーマウス」が誕生しました。
注)このオズワルドはミッキーマウスが生まれるに至った鍵となるキャラクターで、大人の事情が解消された後、めでたくウォルト・ディズニー・カンパニーに戻ってきています。
ボブ(2020)によれば、ウォルトはミッキーマウスのことを「人畜無害のいいやつでね。窮地に陥るのも自分のせいじゃない。でも、いつもなんとかしてはい上がってきては、照れ笑いをしているかわいいやつなんだ」と解釈し、ミッキーマウスのキャラクターはチャーリー・チャップリンからヒントを得たといいます。このミッキーマウスの誕生日、スクリーンデビューは1928年11月18日に公開された『蒸気船ウィリー』、「音の入ったはじめてのアニメーション漫画」という宣伝文句のもと、大ヒットを実現したとのことです。
その後も世界情勢に翻弄されて、幾度となく会社存続の危機に陥りながらも、『白雪姫』や『シンデレラ』などの長編・短編アニメーションの力、仲間と家族の力によって困難を乗り越えました。
…いかがでしょうか。
今回は少しだけウォルトの軌跡を辿ってみました。ディズニー作品は、シンデレラのように一夜にして叶えられたものではなく、ウォルトをはじめ、多くの人たちの努力や情熱、みんなで力を合わせてきた叡智の結晶とも思います。
ウォルトは晩年まで、当時では考えられないようなアイデアや一風変わったコミュニケーションを図っていたようです。
彼の魅力は次のような言葉にも表れています。
「私は決して素晴らしいアーティストでも、素晴らしいアニメーターでもない。自分よりずっと才能ある人たちに、いつも描いてもらってきた。私はアイデア担当なんだ。」
「お金もうけばかりするのには、ずっと飽き飽きしていたよ。私がやりたいのは何かを創り出すこと、何かを進めることなんだ。」
「私のした仕事で最も意味があったのは、スタッフをひとつにまとめ上げたこと、そしてその努力をひとつの目標に向かわせたことだ。」
「どんなに悪い大人でも、純真さをすべてなくしたわけじゃない。それはおそらく、心の奥深くに埋もれてしまっているんだろう。私はこの仕事を通して、そんな素直さに手を差し伸ばし、語りかけてみたい。生きる喜びと楽しさを伝えてあげたい。……ときに自ら馬鹿なことをしてしまうものだけど、それでも人という生き物は、夢を追い続けられるのだと教えてあげたい。」
ウォルトの有名な言葉で締めたいと思います。
「たったひとつ、決して忘れないようにと願うことがあるー すべては一匹のネズミから始まった。」